半末本

とあるアニメ好きの塾講師がアニメレビューや考察をしていきます。記事を読んでいただいたみなさんが新しい知見を得られることができればと思い、アニメから学べることを主に書いています。インスタ→http://Instagram.com/zikkamm

京都アニメーション制作『氷菓』第1話〜「奇を衒った」行動の中に見られる「不器用な優しさ」の始まり〜

こんにちは。

結構色んなアニメが大好きで、どのアニメについて記事を書こうか迷っている状態です(笑)

その中で、今回は『氷菓』というアニメを取り上げます!

 

 

アニメ『氷菓』とは?

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(出典:公式ホームページより)

京都アニメーションという(神)様制作の青春群像劇です。

キャッチコピーは、「青春は、優しいだけじゃない。痛い、だけでもない。ほろ苦い青春群像劇。」

原作は米澤穂信さん著作の小説です。内容がかなり深く、大学の入試問題でも小説の問題の中で取り上げられたくらいです。

このアニメから得られることは大きいと思います。出来たら1話ずつ上げていきたいとは考えています。

 

 

あらすじ

「やらなくてもいいことはやらない。やらなければいけないことなら手短に。」

省エネ人生をモットーとした高校1年生の折木奉太郎が主人公。勉強にも部活にも恋愛にも興味を示さない奉太郎。

しかし、人数がいないから入ってほしいと姉から頼まれて廃部寸前の古典部の部室に足を赴く。

しぶしぶ古典部の部室に着いた奉太郎は、そこで一人の美少女と出会う。彼女の名前は千反田える。彼女はとても好奇心旺盛で、その旺盛さに奉太郎は巻き込まれていく…。


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(出典:公式ホームページより)

 

 

※以下は第1話に関する考察です。ネタバレを大いに含みます。

第1話をご視聴いただいてからお読みください。

 

 

 

第1話のテーマ

「不慣れなやつほど奇を衒う」

女郎蜘蛛の会の勧誘メモを見つけたときに奉太郎が言ったセリフです。

 

奇を衒う」という慣用句があります。

みなさん、この言葉どういう意味だと思いますか?

 

「奇を衒う」…「わざと変わった事をして、他人の注意をひきつけようとする。」(精選版 日本国語大辞典

「衒う」→「実際以上によく見せかける」という意味で、「本当は才能がないのにも関わらず」というニュアンスが含まれます。

つまり、

本当は才能がないのに、わざと変わったことをして、他人の注意を引きつけて、実際以上によく見せかける」という意味になります。

周りにそのような人はいませんか?一人はいそうですよね。

みなさんはこの言葉に対してどんなイメージを持たれましたか?恐らく悪いイメージを持たれたのではないかと思います。

しかし、この『氷菓』では少し違うイメージではないかと思います。このアニメの中での「奇を衒う」とはどういうことなのか、ど「不慣れ」なのかを見ていきます。

 

 

①女郎蜘蛛の会の会長は不慣れ??

女郎蜘蛛の会は、総務委員に見つからないようにこっそりと会を作っています。また、総務委員にバレないように勧誘もひっそりとしている。それが噂になり、神山高校には総務委員に公認されていない部活があると言われ、注目を集めます。勧誘メモは、他の部が貼っている勧誘ポスターの裏に貼る。

そんな女郎蜘蛛の会のやり方に対して、奉太郎が「不慣れなやつほど奇を衒う」と言い放ちます。


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(出典:公式ホームページより)

 

 

②でも、本当に不慣れなのは奉太郎??

もちろん、上記に関しては奉太郎の自作自演。初めに千反田が里志に話していた七不思議その2は、音楽室の話。実際に音楽室に行って確かめるのは帰り道から遠ざかり、面倒。そう考えた奉太郎は、七不思議その1があるのではないかと気づきます。その1は、自分で勧誘メモを1つ貼るだけで話を解決させて、千反田の好奇心を満たすことができ、そのまま帰ることができる。そう考えた奉太郎は、里志に七不思議その1を、千反田に話すように仕向けます。そして、実際に勧誘ポスターが貼られている場所に行き、自分で貼った女郎蜘蛛の会の勧誘メモを見せつけ、千反田を納得させます。

何という自作自演…!!どれだけ遠回りせずに帰りたいんですか…!と突っ込みたくなる(笑)

ところが、里志はそんな奉太郎に対して「不慣れな奴ほど奇を衒うというのは、奉太郎のことではないか」と指摘します。

 

 

★なぜ、「不慣れな奴ほど奇を衒う」のが奉太郎に当てはまるのか?

帰り道から遠ざかる音楽室に行かないようにしたいという動機は省エネをモットーとする奉太郎には理に適っています。

ところが、そのやり方が「不慣れ」だったんですね。

好奇心を振りかざす千反田に対して完全に拒絶をして一人で帰るのではなく、千反田の気を引き付け、好奇心を満たして納得させたうえで帰る。しかも千反田を騙すような形で練りこまれた自作自演までして。これは、2つの意味で「不慣れ」です。

1つは、「不慣れ」な省エネではない行動をとったことです。

省エネをモットーとしている奉太郎にとって、自作自演をするようなことは、明らかに省エネでなく、「不慣れ」です。

2つ目は、人を騙すことに「不慣れ」だったということです。

「女郎蜘蛛の勧誘メモを探す」と千反田に提案した奉太郎の顔は明らかに引きつっている。勧誘メモを不自然になることなく見つけるために言った時も顔が引きつっています。勧誘メモが見つかったあとに不思議そうにしている千反田を見たときは、目を伏せて罪悪感すら感じていそうです。

前半のカギの事件で抜群の推理力を見せつけた奉太郎ですが、人を欺く力には長けていなかったのです。正しく「不慣れな形で衒って」いたのです。

そうして省エネをモットーとしている奉太郎が明らかに省エネとは逆の行動で、千反田を何とか騙そうとしている様子を「不慣れ」だと里志は感じたのでしょう。

 

 

 

★なぜ奉太郎はそんな不慣れな行動をとったのか?

結論としては奉太郎なりの「優しさ」だと思います。

奉太郎は省エネをモットーとしていますが、エネルギー消費の大きい生き方を軽蔑しているわけではありません。むしろ敬っています。千反田もその一人です。千反田の好奇心アタックから何とか逃れて早く帰りたい。でも、純粋に好奇心をふりかざしてくる千反田を拒絶しては千反田を傷つけてしまう。そう考えたからこそ、あんな「不慣れ」なやり方を取ったのではないかと思います。結果的に騙してしまったので、本当に「優しい」と言えるかは懐疑的ですが、奉太郎なりの「不器用な優しさ」と考えることはできそうです。本人は全く自覚していませんが。。

 

そう考えると、自分の才能以上を見せつけようとする「奇を衒った」行動も、相手のこと「も」思った上での行動と考えると、悪いことばかりでもないかもしれません。

 

さて、このアニメの主題歌である「優しさの理由」とは、一体何なのでしょうか…?


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(出典:公式ホームページより)

 

 

 

まとめ

第1話から考察のしがいがあるアニメです。

とりあえず、えるたそがかわいいですね(笑)

氷菓』は岐阜県を舞台としたアニメです。聖地巡礼に行ったことがあるので、その画像もまたインスタに載せようと思います!